時代を超えて愛され続ける、この季節の定番ウェアとも言える「ポロシャツ」だが、ファッションとしての歴史は非常に浅い。伸縮性や吸湿性に優れる生地を用いた半袖シャツが世界中の多くの人を魅了している。日本でも広く愛用される「ポロシャツ」であるが、その起源は実は定かではないという。正確にいうならば「なぜポロシャツと呼ばれるようになったのか」がはっきりしない。実にあいまいな存在だ。

 

テニスウェアとしての存在

ポロシャツに近いネーミングに「ポロカラーシャツ」というものがある。1896年にBrooks Brothers(ブルックス・ブラザーズ)が生み出したシャツのことで、英国伝統の馬術球技である「ポロ」において選手が身に着けていたユニフォームの襟先が風でめくれないようにボタン留めされていたことに着想を得たものといわれている。かつてのポロ競技のトップスはブルックス・ブラザーズがデザインソースにした襟付きのものとはまったく違う襟のない半袖Tシャツのようなものが一般的だったといわれている。では、我々が想像するポロシャツの起源はどこにあるのだろうか。

 

生みの親は、ワニのモチーフでお馴染みのLACOSTEの創業者でもあるルネ・ラコステだ。1920年代に活躍し、数々のタイトルを手にしたフランスの名テニスプレイヤーにして、世界的ブランドLACOSTE (ラコステ)の創業者である。

1920年代頃、テニス選手は格式高い紳士淑女のスポーツ「テニス」といわれるだけに、裾までフロントボタンのついた長袖のドレスシャツを着用していた。だが当然、動きにくい上に吸汗性も低く、プレーに適していないと言われていた。もちろん、それと同様にルネ・ラコステも不満を抱いていたのだろう。そこでより快適なテニスウェアの開発を目指したのだ。開発にあたって彼が目を付けたのが、先述した当時多くのポロ競技者が身に着けていた「襟のない半袖Tシャツのようなもの」だったといわれている。柔らかく通気性の高い編地は申し分なく、そこに紳士然たるべく襟と短い前立てを付け加えた当時としては革新的デザインの半袖シャツを組み立て上げたのだ。

 

 

ポロシャツの生地といえば「鹿の子」素材

表面の隆起や透かし目の生地感が、鹿の子供の背中にみられる白いまだらのようなことから日本では「鹿の子」と呼ばれるようになった。ルネ・ラコステが生み出した半袖シャツは、ポロ競技用のシャツを基にしてはいるとはいえ「テニス」用に開発され、現代のポロシャツのルーツとなったのだ。

ルネ・ラコステは、健康面の理由などから1929年25歳にして現役生活にピリオドを打った。だが、彼が生み出したシャツはその機能性の高さからテニス界はもとより、同じく紳士淑女の競技であるゴルフ界でも高い評判を得てゆくことになる。

そして1933年、この襟付き半袖スポーツシャツの一般販売が開始された。その時のネーミングは「ラコステのシャツ」を意味する「CHEMISES LACOSTE (シュミーズ・ラコステ)」と名付けられた。ロゴの入ったTシャツはこれが世界初と言われている。ブランドのアイコンともなっているワニは”ワニのように食らいついて離さないプレイスタイル”と言われていたルネ・ラコステのあだ名に由来している。

 

なぜポロシャツと呼ばれるようになったのか

ラコステ、フレッドペリーともに元テニスプレイヤーが創設者であり、テニスのための競技ウェアの開発・展開が当初の目的であった。よって両ブランドが生み出したシャツは、本来ならば「テニスシャツ」という呼称で普及しそうなものだ。しかし、競技人口でいってもテニスの方が圧倒的に多いにもかかわらず、現代ではポロシャツという名前が一般化している。ポロシャツという名前でテニスウェアでもある襟付きTシャツがここまで浸透したのには、あるブランドのロゴが大きく影響したのではないだろうか。

それこそが、皆様ご存知の『POLO RALPH LAUREN(ポロラルフローレン)』の存在だ。

 

 

POLO RALPH LAUREN(ポロラルフローレン)のアイコンとなる”ポロシャツ”

1967年、ラルフ・ローレンことラルフ・ルーベン・リフシッツは「POLO」という名でブランドを立ち上げ、ネクタイのデザイン・販売を開始。1968年に、メンズコレクションとしてポロ ラルフローレンをスタート、1971年にはレディスウェアの展開も始めた。アメリカントラッドの代名詞とも言われるこのブランドが、ブランド名に「ポロ」と冠したのは、ラルフ・ローレンがスポーツと馬が大好きだったからだともいわれているが、イギリスのトラディショナルなスタイルを好んでいた氏だからこそ、英国の伝統的馬術スポーツであるポロの名を選んだと言われている。

そして1972年、通称「ポロプレイヤー」または「ポロポニー」と呼ばれるアイコンとなり、誰しもがわかるアイコンが胸元に刺繍されたデザインの半袖シャツを24色という豊富なカラーバリエーションで発表し、これが一世を風靡したのだ。高級百貨店がポロラルフローレンのポロシャツを目立つところにディスプレイするようになり1978年にイメージ広告を打ち出す頃には、ステータスアイテムとして認知されるロングセラーに。ブームから「襟付きの半袖スポーツシャツ」=「ポロシャツ」というイメージが決定づけられ普及していったといわれている。

ポロシャツのデビューからブレイクまでの間には、映画「華麗なるギャツビー」や「アニー・ホール」などラルフ・ローレンが衣装を手がけた映画が大ヒット。レディースウエアでもコティ賞を受賞(1976年)し、殿堂入りを果たすなど、ブランドも大きく成長していた。さらに『ポロ』と『ローレン』、男性用と女性用の香水を同時に発売(1978年)し、ブランドのラインを増やすなど、新しいことにチャレンジしていた。結果、スポーツウエアの分野では知名度の低かったポロラルフローレンが、ポロポニーのロゴとともに広く認知され、当時注目されていたプレッピーの流れともリンクしてブランドの人気が高まり、世界に広まっていった。

 

 

テニス用のシャツとして誕生しながら、どこか凛とした品格ある佇まいにより洒落者を魅了し、暑い時期を快適かつファショナブルに過ごせるアイテムとしてすっかりお馴染みとなった襟付きの半袖スポーツシャツ。日本においてはその競技者がほぼいない上に、観戦する人も少ない。ですが、そのシャツは「ポロシャツ」として、妙に親しまれているのだから不思議なものだ。

 

 

昨今ではオフィスカジュアルの代名詞として、ゴルフやテニスをプレーする際のウェアとして広く楽しまれている。歴史を辿ることで、その魅力は着心地やファッションとして以上の楽しみを感じることができるのではないだろうか。