ファッションの歴史を辿ってみると、古くはヨーロッパ貴族の装いにルーツがあるのはご存知でしたでしょうか。

一般に人は地理条件、性別、年齢、社会階層、職業、思想や嗜好等を反映した服装を着用するとされていたのですが、それと同時に文化的に影響力のあるステータスを持つ人々がそれまでと違った服装をし、他の人々がそれに追随しはじめた時にファッションというものが始まったとされています。中世以降はファッションの流行は世界的なものですが、宗教上の制限や法律による規制などの少ないヨーロッパにて広く普及していきました。もちろん、社会情勢や時代背景による厳しい時代もありましたが、今日まで一つの文化を形成してきました。

今では「ファッション」の変動は激しく、その変化を追いかけていく巨大産業として世界中に広まっています。そんなファッションがヨーロッパにおいて、どのように発生し、どのように広まっていったのかをご紹介したいと思います。

 

中世ヨーロッパの服装

ローマに侵入したゲルマン民族がズボンを持ちこんだが、ローマ人はズボンを好むことはありませんでした。一方で、ローマ時代の末期にダルマティカという短い袖のゆったりしたチュニックが大流行しました。しかし、ビザンツ帝国時代になり、絹や宝石や黄金といった東方の富の流入によって、高位の人々はゆるやかに襞が流れる衣服ではなく、金糸刺繍をふんだんに施して宝石を飾った、ゴージャスな服装を好むようになりました。それは身分高き男性においても好まれるようになり、皇帝は白や緋色のズボンをはいた。ビザンツの影響から西欧では絹の長衣が流行し、騎士でさえ女性と変わらない装いをするようになりました。

その後、南フランスから持ち込まれたというチュニックが流行します。その後、東方から持ち込まれたブリオーという広く大きな袖とぴったりした胴部をもつ長いチュニックが流行するのです。しかし、ブリオーの人気はは長くは続かず、続いてコットという体にぴったりした服が流行します。これは肘から手首までをボタンで留める長くぴったりした袖を持ち、脇をひもで締める、丈の長いチュニックで、さらにシュールコーという上着を重ねましたが、もともとは鎧の上に着る衣装から生まれた為に、これらの衣服には戦場での見分けのために紋章がついていました。

一般的な男性のファッションのスタイルとしては、膝丈のチュニックを着用し、ベルトで締めるスタイルが一般的でした。また、チュニックの下にストレートなズボンやタイツを履いていたと言われています。それに合わせて、より裕福な男性は、外出時にローブを羽織ることが多かったと言われています。

女性のファッションのスタイルとしては、長いドレスを着用し、袖のデザインやスカートの広がりでスタイルが変わりました。中世後期には、ウエストを引き締めるためのコルセットが普及し、よりシルエットやスタイルが強調されるようになりました。

 

豊かなスタイルが生まれたルネサンス時代の服装

文化の復興と人間中心の思想が反映された豊かで多様なスタイルが特徴です。この時期は、特にイタリアから始まり、ヨーロッパ全体に広がりました。イタリア以外には、新大陸を発見したハプスブルク家と結びついていたスペイン王室の服装もモードに影響を与えました。

男性のファッションのスタイルとしては引き続きチュニックがアイテムの中心で、男性は膝丈またはそれより短いチュニックを着用し、ベルトで締めるスタイルが一般的でした。チュニックの下には、ズボンやタイツ(ハイソックス)が流行しました。タイツは体にぴったりフィットし、足元を強調しました。外出時には豪華なコートを羽織ることが多く、装飾的なボタンや襟が施されました。それに追加して、フェルト製や布製の帽子が人気で、特に「ブレーヤー」と呼ばれる帽子が流行したした。
女性のファッションとしては、女性は長いドレスを着用し、特にウエストを強調したシルエットが特徴でした。スカートは広がり、豪華な素材や刺繍が使われました。ドレスの袖のデザインは広がりやフリルなど多様なデザインがあり、装飾的な要素が豊富でした。貴族の女性たちには、髪を飾るための複雑なヘッドドレスやベールが流行し、華やかなスタイルを好みました。素材としては、シルク、ベルベット、ウールなどの高級素材が使われたドレスを着こなす貴族が現れたと言われています。

ルネサンスのファッションは、豊かさや美しさを追求する時代の象徴であり、当時の社会的地位や文化を反映していたと言われており、身分を表すツールともなっていました。

 

ルネサンスを引き継ぎ、華やかなスタイルが特徴のバロック時代

豪華さと装飾性が際立ったスタイルが特徴と言えるでしょう。この時代は、特にフランス、イタリア、スペインの貴族社会での贅沢なライフスタイルがファッションに強く影響しました。この時代からボディラインや性別を意識したスタイルが流行し、タイトなデザインやボリュームのあるデザインなどメリハリのあるスタイルが流行しました。フリルやレース、リボンが多用され、男性においてはウエストコートとカフスが流行しました。女性のドレスには、豊かな生地で作られ、広がったスカートやボディラインを強調するデザインが取り入れられ、特に「ペティコート」を使ってスカートのボリュームを出すスタイルやウエストラインを強調する「コルセット」もこの時代に流行りました。

ダンスと社交界が生まれたのもこの時代と言われており、社交の場や舞踏会が盛んであり、それに合わせた華やかな服装が求められました。贅沢さや芸術性を重視し、当時の社会的地位や権力を反映したスタイルが特徴の時代と言われております。

 

18世紀、新時代の到来「ロココ」

ロココ時代に絶対に覚えておかないといけない名前の一人が「マリーアントワネット」です。この時期のファッションにおいてルイ15世の宮廷文化が重要な役割をはたします。女性は、ウェストを細く締め付け、胸元の広いドレスが一般的になる。また、18世紀後半は、貴族階級の間でスタイルがよく見えるという理由から高くふくらませた髪型が流行します。

男性のファッションとして、この時代にコートの存在が出現します。女性には胸元が大きくあいてドレスが流行します。この時代から芸術や美術とファッションの結びつきも強くなり、花柄や曲線模様といった優雅さを持ち合わせたアイテムも生まれます。

 

19世紀に入ると現代のファッショにも通づるスタイルが誕生します。

後編に続く・・・